おひとりさまの団地暮らしの日々

ファミリーのイメージが強い団地生活。ですがおひとりさまの人も結構多いんです。そんな団地の一人暮らしの日々を綴ります。

感染が拡大しつつある(と思われる)そうです

日本語学習者で敬語とならんで苦手意識が強いのが受身の表現。
受身自体は英語にもあるので、意味がわからないことはありませんが、同じ活用で別の意味があるので厄介。

 

まずは、敬語。
 
(お客様に)席を立たれた。・・・受身
(お客様が)席を立たれた。・・・敬語
 
あとは一段活用動詞の可能表現。
 
(悪いことをしたから)顔を覚えられた。・・・受身
(たくさんのお客様の)顔を覚えられた。・・・可能
 
なお可能表現では「ら」がなくなる、「寝れた」「見れた」などもおなじみです。

実はもう一つあります。
感じる、思う、思いだす、考える、見る などの知覚・思考動詞の場合。
自発という用法で使われることがあります。
 
(周りの人に) 犯人だと思われた。 ・・・受身
(あの男の人が)犯人だと思われた。 ・・・自発

自発というのは、動作が他からの作用にかかわりなく自然に起こる意を表す用法のこと。
つまり、意識して考えるのではなく、自然にそうなってしまう時に使う表現です。
だから、自分の意見を言う時に「~と思われます」とか使われると、イラっとするのは私だけではないはず。
 
コロナの新規感染者が久しぶりに100人を超えた7月2日の都知事会見。
いろんなモニタリング指標に基づき4段階の総括コメントの中から選択して状況を発表したのですが、この総括コメントの内容がまた。
 
 
感染状況について、
感染が拡大していると思われる
感染が拡大しつつあると思われる
感染拡大の兆候があると思われる
感染者の増加が一定程度にとどまっていると思われる
 
医療提供体制について、
体制が逼迫していると思われる
体制強化が必要であると思われる
体制強化の準備が必要であると思われる
通常の体制で対応可能であると思われる
 
と、すべてのコメントに「~と思われる」がくっついています。
この「思われる」は自発の「思われる」です。
 
「~と思われる」がおしりにつくと、たぶんそうだと思うけど、違っている可能性もそれなりにありそう、というどっちでもとれる表現になってしまいます。
自分たちで決めたモニタリング数値を、自分たちで決めた基準に当てはめるのだから、「~と思われる」などつける必要はありません。
 
「感染が拡大しつつあります」「体制強化の準備が必要です」と、どうして言い切らないのだろう。
理由は一つしか考えられません。
言い切ってしまって、あとでそれは認識が違っていたとかとなると、責任問題になるから。
わざとぼかして、100%そうだと言わないことで逃げをうっているのでしょう。
無責任体制が透けて見えます。
いかにも役人根性というと言い過ぎか。
 
でもこれを承認したのは政治家の都知事
どうしてこんな表現を許したのか、理解に苦しみます。
おおかた、選挙で頭がいっぱいだったのでしょうね。
 
まあ私は日本語レッスンのネタが増えたので、ありがたくもあるのですが。
 
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