おひとりさまの団地暮らしの日々

ファミリーのイメージが強い団地生活。ですがおひとりさまの人も結構多いんです。そんな団地の一人暮らしの日々を綴ります。

中曽根康弘元首相死去 また昭和が遠くなりました

中曽根康弘元首相が亡くなりましたね。

 

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私が小学生の頃は佐藤内閣でしたが、その頃から活躍されていました。
佐藤内閣の次はだれが首相になるかというので、よく三角大福中と言われていたのを覚えています。
三木武夫田中角栄大平正芳福田赳夫中曾根康弘の五氏ですね。
こうしてみると全員首相になったわけですが、当時の政治家は他にいくらでも首相候補がいたような気がします。
野党も役者がそろっていましたしね。
昭和もずいぶん遠くなりました。
 
中曽根さんは、五人の中では一番最後に首相になりましたが、一番長く首相の座につきました。
バブルの頃でもあり、日本の国力が一番強かった頃だったのが幸運だったのかもしれません。
 
その功績はたくさん報道されていますので、そちらをご覧いただくとして、私が印象に残っているのがその博識さです。
一例をあげると首相当時の国会審議でのこと。
野党議員からその政治手法を批判されました。
その時の質問が「中国の始皇帝朕は国家なりといったが、あなたはそんな感じで国家運営をしているのではないか?」
というもの。
間髪入れずに答えた内容が「私の記憶では朕は国家なりというのはルイ14世の言葉だったと記憶してますが。」と答え、野党議員が絶句したシーンを覚えています。
説明責任と言いながら逃げ回っている安倍さんや、漢字読み間違い常習犯の麻生さんにこんな答弁ができますかねえ。
 
さて、中曽根さんのやり方もかなり賛否両論あったのは事実。
首相になる前はかなりのタカ派の評判をとっていて、冷戦真っ盛りの世界では危うさいっぱいでした。
 
ただ、最悪だった日米関係を立て直し、同時期のアメリカ・レーガン大統領とタッグを組み、強力な日米関係を構築したことがソ連崩壊の遠因ともなりました。
そういった意味では、中曽根首相でなければ、世界の歴史はすこし変わっていたかもしれません。
 
退任前後にはリクルート事件などいろいろ問題がありましたが、国鉄民営化や行政改革などそれなりに実績をあげました。
戦争経験者で、死地をくぐった経験に比べれば大したことはなかったのかもしれません。
中曽根さんでなければできなかったことは結構あったように思います。
時代が違うのでしょうがないですが、中曽根さんのような政治家はもうでてこないかもしれません。
 
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