いきなりどストレートな表現をしますが、おひとりさまで団地住まいを始めた時から、自分が死ぬときはどうする(どうなる)か、どうしても考えてしまいます。
定期的に孤独死を取材している東洋経済の記事があるのですが、今回はとりわけ身につまされる内容でした。
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記事にでてくる孤独死した女性は40代。いわゆるひきこもりではなく自営のノマドワーカーで、記事の内容からすると、いわゆるせどりで生計をたてていたと思われます。
私はせどりをやっていないのでよくわかりませんが、特に誰かと対面でコミュニケーションをとって仕事をする必要がなければ、そのまま一人で黙々と仕事すると思います。
仕事をしているということは、それなりに社会と接点をもつことになるわけで、そこに孤独感をかんじることはないでしょう。
これがかえって落とし穴になるのかもしれません。
自分はひきこもりとは違って、いろんな人とつながりがあるのだから大丈夫と。
たしかにメールやSNSなどでの関係はあるでしょうが、そこにはインターネットの文字経由でしかなく、自分の人となりをどこまで知らしめることができているかわかりません。
ましてや仕事だけの付き合いであれば、年齢性別すらも意識してもらえないかもしれません。
そこでは相手にとっての自分はネット上のアバターでしかなく、リアルな喜怒哀楽を持った人間と感じてもらうのは難しいでしょう。
自分は生身の人間でも、相手からすると2次元のキャラクターでしかないのです。
いわば国際ロマンス詐欺の逆パターンですね。相手が妄想を膨らませるのではなく、矮小化してしまう。
その結果、本人を目の前にしてはとても言えないようなことを、ネットでは書かれてしまうこともありえます。
それにショックを受け、人間関係について心を閉ざしてしまう。
そうなるといよいよひきこもり→孤独死へ一直線です。
いくらネット専業でも、最終的な顧客は人間です。
人間と人間の付き合いはコミュニケーション能力が必要です。
相手を知り、自分を知ってもらう努力が必要です。
やっぱり対面でのコミュニケーションに勝るものはないでしょう。
万一のことがあった場合、面会の約束をしているのに来なかったら変だとは思いますが、メールが来なくてもすぐには気づきませんしね。
これは仕事でもプライベートでも同じだと思います。
私も今は人と会って仕事をしていますが、そのうち引退するときが来ます。
仕事のつきあいは仕事をやめるとなくなることが多いのは自明のこと。
その時、自分という人間を知ってくれている人がどれだけいるか、やっぱり普段からの努力が必要だと改めて感じた次第です。
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